monologue #4
漁師といえばだいたいが荒くれ者。おっきく稼いだお金で御殿をぶったて、
派手なジャージをだぼっと着こなしシーマかそれでなければランクルか、
いずれにしてもびっかびかのでっかい車を乗り回す。こんな偏見、
というか若い頃からわりに好んで旅した港町でたびたび実像を目にした
ことによって脳内に定着した漁師像を、ひとむかし前までの僕はそのまま
更新せずにほったらかしていた。店で売ってた網走湖のフォトペーパー
を手に、6月はじめのよく晴れた朝のような爽やかスマイルでレジ前に
たつスマートなその青年に「僕、この湖で漁師やってるんです」と
言われたとき、だから僕はしばし混乱に陥った。だって漁師にしては
閲覧用の雑誌や調度品の扱いがソフトすぎるじゃないか。それに
駐車場にシーマもランクルも見当たらない。服装だって金ラインいり
のジャージどころか、都会のセレクトショップのスタッフがするような
お洒落で清潔感溢れるコーディネートだ。すんなり信じられるわけがない。
「ぜんぜん漁師に見えませんね」。あんまり不可解だったので、隠し
持った銛で刺される覚悟でつっこんでみる。
「ふふふ」と青年。フォトペーパーに写った凪ぎの湖ばりに穏やかだ。
「最近は漁師も世代交代がすすんでるからか、派手なタイプばかり
じゃないんですよ」。
そんなふうにして知り合った、僕にとっては初めてかつ唯一となる
漁師の友達が大空町のIくんである。夏は主にシジミ、冬はワカサギ
と網走湖の恵みで生計をたてているれっきとした船乗りさんだ。
なんでも漁師家系の生まれではなく、高校卒業後から女満別空港で
荷捌きの仕事に精をだすこと数年、ふと地域ブランド品のシジミに、
「送る」のでなく「生産」というスタンスで関わりたいのだ自分は、と
気づいてしまったのだという。ねじりはちまき姿がどうしてもイメージ
できないのは、そういう背景ゆえだったのだ。で、たまたまそのとき
の交際相手が漁師の娘という巡りあわせも手伝い、結婚→引退を
決めた義父からの漁業権と漁船の譲渡という変則ルートを経由
して独立を果たしたそうである。
過去に二度ほどシジミ漁の船に図々しく乗船させてもらったことが
ある。そのときに改めて実感したのは、強靭なフィジカルとタフな精神力
が揃って要求される職種だということだった。それ自体だってそうとう
重そうな鉄製のカゴを水中に沈め、黒々とした無数の貝を引き上げては
出荷用のプラケースにざざざっと落としていく。鉄カゴの上下運動は
船のウインチがやるのだけど、引っ張ったりひっくり返したりは人力だ。
これを延々と繰り返す様はもう完全な筋トレである。毎日が鍛錬の場。
しかも寒い。陸にいれば初夏の日差しが温めてくれる6月でも湖上は
別世界だと初めて知った。空気がえらく冷たくて、それでいて船の移動
時はまともに風をうけるものだから、漁を終えて湖畔に降りた頃には
震えでがくがくと顎がかみ合わない状態が止まずに苦労したものだった。
それに、パック売りの状態がスーパーに定番的に置かれているのを
見たり、何度かIくんからお裾分けをもらったりもしてるから、どうも水揚げ
があって当たりまえと思いがちだけど農作物とは違ってシジミは動く。
見下ろしても水中はまるで石の壁のように何も見せてくれない。もし
何らかの判断を間違えてうまく獲物が網にかからなかったり、自身の
コンディション不良でそもそも船を出せなかったら収入はない。
結果がすべてダイレクトに自分と家族にはねかえる。これは、出社さえ
すれば日給が保証されているサラリーマンの自分にはちょっと想像
したくない構造だ。
しかしながらIくんは漁に同行させてもらったその日、仕事をおえたあとの
公園で、いつもの柔和な笑みをうかべながらあつあつで美味しいハンド
ドリップ珈琲をご馳走してくれた。あの労働を終えた後とはとても
思えない、軽やかな手さばきで。
船上でひとり、好きな仕事に心ゆくまで向きあえることへの充実感と
達成感が力仕事の疲れや寒さや不安を消し去ってくれるのに違いない。
Iくんの人柄をあらわしているような、クリアな酸味の珈琲を流し込み
ながら、胸のなかでひとり「人生こうあるべきだよなあ。好きな仕事
を人生にくみこむのが本当だよな」と頷く僕でああった。それにしても
漁師のみなさん、ごめんなさい。
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